素生(素門)

養生法(素問より)
今回は漢方の古典『素問』より養生に関係のある条文をみていきたいと思います。

①上古天真論篇第一
恬憺虚無、真気従之、精神内守、病安従来。 是以志閑而少欲、心安而不惧。形労而不倦、
気従以順。各従其欲、皆得所願。故美其食、任其服、楽其俗、高下不相慕。其民故曰朴。
是以嗜欲不能労其目。淫邪不能惑其心。愚智賢不肖不惧於物。

およそ心を静かにして、むやみやたらな欲望をおこさなければ、生の泉である真気はその人の体内を隅なく巡り、身体を正しく運営することができます。
つまり欲望が少ない人は、心がいつも満足の状態であり得るわけです。
それぞれの境遇に甘んじて楽しく暮らす。

②四気調神大論篇第二
春三月、此謂発陳。天地倶生、万物以栄。夜臥早起、広歩於庭、被髮緩形、以使志生。
生而勿殺、予而勿奪、賞而勿罰。此春気之応、養生之道也。逆之則傷肝、夏為寒変、
奉長者少。

春の三ヶ月間を発陳という。それはすべてのものが発生し、つらなる季節である。
この期間に、天地間のもろもろのものが生きいきと発生し、つらなって繁栄しようと動き始める。
この時にはすべてをゆっくりとのびのびさせておく。それが春における陽気の発生を特徴とする天地の気に相応ずることであって、それこそ春時の養生法である。

夏三月、此謂蕃秀。天地気交、万物華実。夜臥早起、無厭於日。使志無怒、使華英成秀、
使気得泄、若所愛在外。此夏気之応、養長之道也。逆之則傷心、秋為痎瘧、奉收者少、
冬至重病。

夏の三ヶ月を、蕃秀という。それは花咲栄える季節である。
この期間には、天地の陰陽の気が活発に交流しあって、生きとし生けるものすべて花咲き実る壮んなときである。
この時にはすべて発散させるようにし、鬱積することのないように気を付けるべきである。それが夏における成長を特徴とする天地の気に相応じることであって、これこそ夏時の養生法である。

秋三月、此謂容平。天気以急、地気以明。早臥早起、与雞倶興。使志安寧、以緩秋刑。
収斂神気、使秋気平、無外其志、使肺気清。此秋気之応、養收之道也。逆之則傷肺、
冬為飧泄、奉蔵者少。

秋の三ヶ月を容平という。それはものの形が定まる季節である。
この期間は、天地の気が引き締まって澄んでくるように、すべてのものが収斂してくる。この時には精神を落ちつかせて、秋の天地の粛殺(シュクサツ)の気が身体を損なうことがないようにし、志を遂げようとしてやたらと動きまわり、冷えを受けて肺の蔵を冷やすことがないようにしなければならない。
それが秋における収斂を特徴とする天地の気に相応じる所以であって、これこそ秋時の養生法である。冬三月、此謂閉蔵。水冰地坼、無擾乎陽。早臥晩起、必待日光、使志若伏若匿、若有私意、
若已有得。去寒就温、無泄皮膚、使気亟奪。此冬気之応、養蔵之道也。逆之則傷腎、春為
痿厥、奉生者少。

冬の三ヶ月を、閉蔵という。それはもろもろのものが門戸を閉ざして閉じこもる季節である。
この期間は、水は氷り、地は凍てついて寒さが厳しいので、さすがに天の陽気もこれを和らげることができないほどである。
この時には精神的には気を静めて、何かしなければと思う志などふせかくし、また、ひそかな心持ちで、常に満足していなければならない。肉体的には直に寒さに触れぬように、また、身体を温かく保つように注意し、過労して汗をかき、陽気をたびたび逃がすことのないようにしなければならない。
それが冬における蟄蔵(チュウゾウ)を特徴とする天地の気に相応じることとなり、これこそ冬時の養生法である。

春の養生法に逆らう→少陽の発生作用が充分に行われない→肝虚 陽気が閉じこもる
夏の養生法に逆らう→太陽の成長作用が充分に行われない→心の力が抜けて虚す
秋の養生法に逆らう→太陰の収斂作用が充分に行われない→肺気が発散 熱気が胸に充満
冬の養生法に逆らう→少陰の蟄蔵作用が充分に行われない→腎気が他の臓腑と遊離

故陰陽四時者、万物之終始也、死生之本也。逆之則災害生、従之則苛疾不起、是謂得道。

春夏秋冬の陰陽の作用というものは、森羅万象の始まりであり、且つ終わりでもある。則ち人間にとっては、生まれてから死に至るまでの道の大本である。
従って、この四時の陰陽の理に逆らった行動をとると、災いが降りかかってくるのであり、この理に従えば平安無事である。

③生気通天論篇第三
失之則内閉九竅、外壅肌肉、衛気散解。此謂自傷。気之削也。
日中而陽気隆。日西而陽気已虚、気門乃閉。是故暮而收拒、無擾筋骨、無見霧露。反此三
時、形乃困薄。

生活が精神的にも肉体的にも天と調和していない状態であると、天の気に通じる人体の目・耳・口・鼻などの九つの穴の機能を損じ、また、皮膚の機能も悪くなって、肌肉の働きが阻害されてくるので、衛気も防御力を発揮できずに、消滅してしまうようになる。
これを"自傷"という。
自らの不摂生によって自らを傷害するという意味で、衛気が消滅するから、こう呼ぶのである。
夜明けになると、陽気である衛気が体の表面を巡り始める。
日の高いうちは、天の陽気と相まって、人の陽気も盛大であるから、防御力も強い。
日が西に傾くと、天の陽気が段々と衰えてくる。それにつれて人の陽気も減少してきて、日が落ちると毛穴を閉じて内部に入ってしまう。
こんな訳だから、日没になったならば行動を止めて、外邪を防がなければならない。肉体労働を続けて筋骨を過労させてはいけない。また、朝や夕の霧や露の冷えにもあたらないようにすべきである。
この朝・昼・夕の陽気の消長に反した生活をしていると、身体は段々とむしばまれていくのである。

④陰陽応象大論篇第五
水為陰、火為陽。陽為気、陰為味。味帰形、形帰気、気帰精、精帰化。精食気、形食味、
化生精、気生形。味傷形、気傷精。精化為気、気傷於味
陰味出下竅、陽気出上竅。

陽は形のない気の働きであり、陰は形のある飲食物が持っている五味の栄養素である。
 五味からなる飲食物によって人間の肉体は存在する。そして、その肉体から気の働きが生じるのである。その気の働きが充実していると、生命活動の源泉である精も充実してくる。更にこの精気が充実していると、新陳代謝の変化が円滑に行われるのである。
 故に、精は気から生じ、肉体は飲食物である五味から生じるのである。
しかしこれらは、その調和が保たれている場合に初めて相互の関連がうまくいくのであって、飲食物の五味の調和が狂うと、五味はかえって肉体を損傷することになるし、気の働きが強すぎると、それが精気を損傷することにもなる。
気の働きが損傷されると痛みを感じ、肉体の機能が損傷されると腫れを生じる。

⑤能知七損八益、則二者可調。不知用此、則早衰之節也。年四十而陰気自半也、起居衰矣。
年五十、体重、耳目不聡明矣。年六十、陰痿、気大衰、九竅不利、下虚上実、涕泣倶出矣。
故曰、知之則強、不知則老。故同出而名異耳。智者察同、愚者察異。 愚者不足、智者有余。
有余則耳目聡明、身体軽強。老者復壮、壮者益治。

 上記を簡単に言うと、天から同じく百の寿命を戴いているのに、陰陽の調和を心得た養生法を守るか否かによって、五十歳にならないうちに老いぼれてしまう者と、そうではなくてちゃんと天寿を全うする者との差が出てくるということであります。
 智者はこのことをよく心得て、陰陽が調和した養生法に従って生活するのですが、愚者は人間の寿命はそれぞれ差異があるのだから、養生法を守ろうと守るまいと、死ぬ時は死ぬのだとばかり、不摂生な生活を致しますので、このように早く老いぼれるのであります。