これは口を中心にした造語ですが、食に対する感謝とは、食に対し、唯、足るを知ることに徹すべきであると思います。
食事において、唯、足るを知る、この実践こそ簡単な表現ではありますが、実に意味深いことであると思います。
食に対する感謝、謹んで多く食わず、むさぼらざる気持ちこそ、足るを知る行であり、心であります。
古来、日本の家庭においては、お米を粗末にすると目がつぶれる、罰があたるといって、
食の大切さを諭していますが、食を大切にする、食に感謝することの真意を取り違えて、何でも自分が余分に食を残さずに食べるとか、食膳に供されたものを完全に食べ尽くすことをもって、食を大切にすることと勘違いしているのです。
真に食を大切にする人は、食に対して敬虔の心を持ち、食を尊び、食即命として食を敬い、心から食に合掌して食に感謝し、謹んで食べ、食の真価を100%に発揮させる人であって、必ず控えめに、腹八分目に、謹んで食べる人であります。したがってご馳走でも、余分だと思ったら最初から半分とか三分の一しか食べない。しかも謹んでよく咀嚼し、充分に噛み砕き、消化酵素やパロチンホルモンの力を最大限に発揮し、食物が完全燃焼して、その効果を十二分に発揮するように努めるのであります。
 せっかく自らの命を絶って私たちの食卓にあがってきている食物を、食べ過ぎることによってその人間が病気になってしまったのでは、食材はうかばれませんよね。真食とは心食であり、慎食であります。慎食でなければ人間の食たる真食ではなく、また、心を創り情緒(感情)を創る心食ではないのです。心を養う食として、「食の心得、食に対する心掛け」がいかに大切であるかを強く認識していきたいものです。